
CASAリメイク作家のTammyです。
ある方から「引っ越しで整理していたら出てきたんだけど、うちでは要らなくなったから使って」と、何年か前にティーポットを1つ頂きました。
正直あまり趣味ではなかったけれど、そのまま無下に突っ返すこともできず、かと言ってこっそり捨てることもできず。
1人や家族でティーブレイクする時などに、時々使っていました。
そんなある日、何となく考え事をしながら、よそ見をしていたのか、食器洗いの際に、そのティーポットを「コツン!」と水道の蛇口に当ててしまったのです。
軽く当てただけだったので、最初はあまりに気にしていなかったものの、よく見ると、ポットの注ぎ口がポキッと真っ二つに割れてしまっていて。
「あ、やっちゃった…」
でも、その光景を見ても、まったく悲しくはなくて、むしろ、何かの呪縛から解き放たれたような感覚がしたのです。
なんでそう思ったんだろうなぁ。
その時、ふと気づいたこと、少し書いてみようと思います。
なぜ、それを買うのですか?
あなたは何か物を買う時、何を理由に物を買いますか。
物にもよるけれど、私の場合、ひとめぼれして衝動買いをしたり、急を要する生活必需品以外は、かなり吟味して買うことが多いです。
物1つ1つに、「これはうちの雰囲気に合うか?」とか「本当にこれ必要なの?」とか「値段に見合う価値があるのか?」そうやってイチイチ判定を下します。
その感覚は、物を<モノとして単純に買う>という行為というよりは、物を<1つの人格として迎え入れる>という儀式に近いかもしれません。
あぁ、我ながら面倒くさい人ね(笑)
もちろんみんながみんなそうだとは思わないし、「そんなことやってる暇はないわよ!」とおっしゃるかもしれません。
でも、気持ちが伴わずに何となくで買ったものって、やっぱりそれなりの存在にしかならないんですよね。
そのうち存在自体を忘れてしまったりして(※あくまで私の場合です)。
結局、私の物との向き合い方は、究極「そこに愛はあるのか?」という話なんだと思う。
もらいものは難しい。
さて、自分で買うものに関しては前述のとおり、とりあえず自分の気持ち次第で何とかなる。
問題は、もらいもの(プレゼントやお土産も含む)ですね。
贈り主は、もちろん喜んでもらいたくて贈ると思いますが、もらった側にとっては、必ずしももらってうれしいものばかりではないのが、悩みの種です。
だから、私はあまり人にものをあげるということ自体をしないのですが(お相手に気を遣わせたくなくて)、あげたいなと思った時は、最近は消え物か、お相手の負担になりにくいものにしています。
昔はただ自分が「あげたい!」っていう気持ちだけで、手作りの物とか、「もらってどうするの?」って突っ込みたくなるようなものをあげて、きっとお相手を困惑させることもあったかと思いますが(苦笑)
逆に、自分が好みではないものをもらった時の話。
昔は一旦は喜んで頂いていたのです。
お相手の気持ちを無下にしたくなくて。
特に困るのは、陶器類や絵画など、趣味があるものですね…
その1つが、今回のティーポットだったんです。
だから、正直割れてしまってホッとしてしまったのかも。
そのまま捨てるなんて、お相手に申し訳ないと思う気持ちと、物そのものに申し訳ないと思う気持ち。
ダブルで申し訳ないの呪縛に囚われていたのかな。
まだ使えるのに、せっかく頂いたのに、捨てたら環境にも悪いし。
手放せない理由がたくさんあって、それをできないまま、使うたびにモヤッとしていたんです。
でもこれって、よくよく考えると、結局は頂いた方にも、その物にも申し訳ないことをしていたのかもしれない。
気持ちよく使えないなら、感謝をしてから早々に手放せば良かったのかも。
目には見えませんが、使う私に愛がないから、きっと美味しいはずのお茶も、美味しく淹れられなかった気がするのです。
「好き」を大切にするということ
さて、今朝のお茶は、ホットのハニーブッシュティーにお気に入りのはちみつを入れて。
ポットは、シンプルな耐熱ガラスの「HARIO」のものです。
気持ちの整理がついたからか、とっても美味しく感じます。
やっぱり身の回りに置くものや、いつも使うもの、いつも目に触れるものは、お気に入りの愛着のあるものがいいなぁ。
そう改めて思いました。
もう譲り物は、安易にもらわないぞ!(笑)
お気持ちだけ受け取りつつ、うまくお断りするようにします!

ここ1ヶ月ほどで、大切な決め事がいくつもあって。
昨日ようやく、そのうちの1つが決められました☆
とてもとても考えて、考え抜いて、どんどん深みにはまって。
考えても、結局答えが出なくて。
で、ふと、ふわっと心のブレーキを緩めたら、自分にOKが出せました。
これでまた1つ前に進めます☆
もしかすると、あのティーポットさんが「もう十分私のお役目は果たせたよ。だから、あなたももう「ねばならない」の理想の自分に囚われなくていいんだよ」って言ってくれたのかもしれない。
前にどうしようか悩んでいる時に、あるお友達が言ってくれました。
「どっちを選ぶ自分が好き?」
今まで、そんな基準で物事を決めたことはなかったので、彼女の言葉は私にとって新鮮な気づきでした。
だから、今回は、いつもの小難しい考えすぎる自分をちょっと置いておいて、シンプルに「好き♡」を基準に、好きな未来が見える自分を選びました。
その決心については、また詳細が決まったらお知らせしますね♪
以上、ちょっと小話でした。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

Casa de Paraguasの日傘は、
<「リメイク」というひと手間の魔法で、想いをカタチに>
という理念の下、託してくださった方に寄り添い、作り手の顔が見えることを大切にしながら、1本1本時間をかけて手作りしています。
お客さまにとって、「世界に1つの宝物」のような、「愛おしい子ども」のような存在になることを願っています。
「こんなもので日傘って作れるのかな?」
「こういう日傘があったらいいな」
お客さまが作ってほしい日傘のイメージに、できる限りやわらか頭で対応します。日傘のこと、お気軽にご相談くださいね。