
CASAリメイク作家のTammyです。
「リメイク」というひと手間の魔法
~ The magic of remake ~
「そのひと手間の魔法をかけることで、お気に入りや思い出があるけれど捨ててしまうしかないものを素敵に生まれ変わらせて、その作品を手に取った方が より幸せな気分になってもらえますように」という理念で、日々活動しています。
考えてみると、以前はアメブロでブログを書いていましたが、ブログお引越を機にその時の記録はすべて消去したため、今では私の過去を知らない方も多いのではと。
「私の過去のお話なんて、誰が興味あるねん!」かもしれませんが、私が今のようなリメイクで日傘を作るようになるまでに、実は様々な紆余曲折がありました。
数回連載で、私が今のようなCASAリメイク作家として活動を始めるようになるまでのお話をしています。
題して、
【今だから話せるストーリー】私がリメイク作家を目指すまで
今回は、その第3回です。
episode 5: 職を転々としながら、自分探しの日々
2000年、大学を卒業するも、就職難で何とか入社できたのは、大学で習ってきたこととは全くの畑違いのソフト開発会社のプログラマ枠。
…なのですが、仕事が合わず結局1年足らずで退職。
その後、神戸の貿易商社で国内営業事務を3年間ほどし、それなりに楽しいOL生活を送っていました。
けれども、ふと自分のその後の人生をイメージすると、どうしても少しモヤっとするような感覚を覚えるように。
「私はこのまま何となく同じ仕事を続け、結婚して、仕事をやめて、専業主婦になり、子どもを産んで、お母さんになる。そんな平凡な人生を過ごしていくのかな?」
その違和感はやがて、「いや、1度しかない人生だ。もっとチャレンジする人生を歩んでみたい!」と思うように変化していきました。
そのタイミングで、その当時から始まった日本の中の大きな司法制度改革、いわゆるロースクールが近々新設されるという話を知りました。
当時から最難関だった司法試験ですが、司法制度改革で誰でも弁護士になれるチャンスが大幅に開かれるって!?
「私でも頑張れば弁護士になって、バリバリと働けるようになるかもしれない」、とにわかに弁護士になる夢が私の中に広がっていきました。
それで、結局お世話になったその商社を退職し、夕方からの司法試験予備校に通うことに。
仕事を辞めて収入がなくなってしまったので、生活のために、昼間は法律事務所で秘書のアルバイトをすることにしました。
そして、早朝から出勤前まで勉強 → 昼間法律事務所でアルバイト勤務 → 夕方から夜まで司法試験予備校で勉強
そんなハードな生活を2年続けた後、初めてロースクールを受験しました。
元々そんなに頭の回転が早い訳でもなく、論理的思考もあまりできなかったため、法曹の適性はなかったのでしょうが、それでも何とか某ロースクール1校だけ合格することができました。
もちろんロースクールに行っただけですぐに弁護士になれるのではなく、卒業後に司法試験を受けて、通った後も、まだまだ学びが終わる訳ではありません。
それでもロースクール入試合格で、ようやく弁護士になるスタート地点に立てたことが、とてもうれしかったです。
そのロースクールに通うため、法律事務所でのアルバイトもその春まででやめる約束になっていました。
episode 6:思わぬ不可抗力で夢を断念
喜びいっぱいの春、新しくロースクール生としてのスタートの予定でした。
…が、ロースクールの学費を借りる際の保証人になってもらう予定の父に、多額の借金があることがにわかに判明。
青天のへきれき!それはもう、絶句です。
保証人を頼むどころの話ではなくなりました。
そして悩みに悩んだ末、経済的な見通しが立たないため、ロースクール入学は断念。
弁護士になる夢も、そこできっぱりと諦めました。
その一連の経緯を勤めていた法律事務所のボスに話したところ、なんと辞めるはずだった私を再雇用してくれた上、アルバイトから正社員に変えてくれました(泣)。
そして、さらに予想外の展開が!
ロースクールに入ると無収入になり生活が大変になるから、それならいっそ結婚をして一緒に住んでもいいよ、と当時付き合っていた彼(現在のオット)が言ってくれていたのです。
が、状況激変で、ロースクールには行けなくなっちゃったけれど、結婚の話はどうする?って話に。
普通に考えると、仕事は続けられることになったのだから、もう一緒に2人で住まなくても良くなったよね、なのですが、これもある意味、運命というか、タイミングなのかなぁと思い、結局30歳で結婚をすることに。
暴風雨が降って、むしろ地が固まってくれたのか!?
そして、結婚の翌年、息子を出産しました。
あの時、何も問題もなくロースクールに入学し、そのまま司法試験を目指していたら、もしかすると、今のような結婚して、子供がいて、リメイク作家をしている私ではなかったかもしれません。
人生とは本当に筋書きのないドラマのようですね!
それから結婚出産を挟んで、合計10年ほど法律事務所秘書のお仕事を続けました。
なお、ここからは余談になりますが、長年悩まされ続けたアトピーのこと。
実は社会人になってからもストレスがたまったり、季節の変わり目になると、時々出たりしていました。
ですが、私の場合は、息子の出産と同時に、アトピーがほぼ出なくなり、完治しました。
(※ただし、今でもアレルギー体質であることに変わりはないし、肌は弱いので、紫外線にも極力当たらないようにしています)
出産で体質が大きく変わる人がいるということは聞いたことがありましたが、私の場合は、息子が私の体質を良いように変えてくれたのだと思い、息子には感謝しています。
ちなみに息子はオットの遺伝子を濃く受け継いだのか、アトピーは今のところ全く出ていません。
私にとってアトピーは死にたいと思うほどつらい経験ではありましたが、ストレスコントロールという意味で、自分の内面を見つめるきっかけを作ってくれたのもアトピーであり、食事や運動、生活全般について丁寧に、真剣に、自分の身体に注意を配るようになったのもアトピーがあったから。
身体に入れるものには気をつかい、極力自然に近いものを、自然に近い形で。
頑張る時は頑張るけれども、ストレスでおかしくなるほど頑張ることはしない。
そもそも頑張っている自分を、まずは自分が認めてあげる。
他人と比べてできていない自分にクローズアップして、ジャッジはしない。
今もそのスタンスは変わっておらず、私の価値観の中心にもなっています。
だってアトピーって、頑張っている自分の証そのものだったんです。
頑張り過ぎて、それが表面に出てきてしまったもの。
ストレスの出方、ストレスの影響は人それぞれだけれど、私の場合は、たまたまそれがアトピーとして出ただけ。
だから、私にとってアトピーは、私の人生に欠かせないものであったし、これはおこがましい独りよがりな思いかもしれませんが、今は出口が見えなくても、どんなにひどいアトピーでも、きっと良くなる日が来ると信じています。
私自身が思春期から経験してきたことなので、今も成人アトピーで苦しんでいる方に、私の経験が何らかのヒントになればいいなと思っています。
長くなってきたので、その後のお話は、次回『【今だから話せるストーリー④】私がリメイク作家を目指すまで』に続きます。
いよいよストーリーはクライマックスに!
>>最終回『【今だから話せるストーリー④】私がリメイク作家を目指すまで』はこちらからお読み頂けます。
以上、『【今だから話せるストーリー③】私がリメイク作家を目指すまで』でした。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

Casa de Paraguasの日傘は、
<「リメイク」というひと手間の魔法で、想いをカタチに>
という理念の下、託してくださった方に寄り添い、作り手の顔が見えることを大切にしながら、1本1本時間をかけて手作りしています。
お客さまにとって、「世界に1つの宝物」のような、「愛おしい子ども」のような存在になることを願っています。
「こんなもので日傘って作れるのかな?」
「こういう日傘があったらいいな」
お客さまが作ってほしい日傘のイメージに、できる限りやわらか頭で対応します。日傘のこと、お気軽にご相談くださいね。
なお、今オーダー頂きますと、仕上がりは最短で6月末を予定しています。
今年の夏のマイ日傘デビューをご検討いただいている場合は、気持ち早めにご相談いただけるとご希望を叶えやすくなります。